令和3年8月豪雨災害
令和3年8月14日 数日前から断続的に降り続いた雨は夕方から雨脚が強くなり、嬉野市や武雄市東川登町では1000mm近くの雨が降っていました。山間部に降り続いた雨は、平地へとおりてゆき、暗くなる頃には六角川につながる小さな河川は氾濫し始めました。内水氾濫です。
町の中を流れる川の氾濫を防ぐために設けられたポンプはいったん稼働させたものの、降り続く雨の影響で六角川の水位が下がらないことから、たびたび停止しなければならず、小さな河川やクリークなどからあふれた水は田畑を越え、住宅地へと流れ込みました。ダムは放流予定がされるほどに満杯になり、道路も川のように水が流れ、飲食店の連なる国道34号線沿いも、駐車場はさざ波の立つ湖のようになり、みるみるうちに水の中に沈んでしまいました。
その周辺は長崎街道の両側に住家があり、一時は炭鉱町で栄えたところや、河川を活用した商業流通拠点として宿場や商家が立ち並ぶ地域でした。近年は店舗も多く国道そばで利便性もよい地域として、田畑を造成した新興住宅地ができ、若い世帯も増えている地域でもありました。
そんな中、令和元年8月に数十年に一度といわれる線状降水帯による佐賀豪雨があり、武雄市では1500軒あまりの世帯が浸水被害を受けました。武雄でははじめての大きな災害に直面し、たくさんの方々のご協力・ご支援を得て、復旧復興の取組みが行われました。その際に立ち上げたおもやいボランティアセンター(一般社団法人おもやい)は民間ボランティアセンターとして、地域の人々のくらしの再建をお手伝いしながら、今年度も防災活動を進めていたところでした。
しかし2年も経たずに、また同じような地域が、2年前以上の被災をしてしまうこととなりました。8月15日には水が引かず、佐賀県内の至る所が冠水し、道路は寸断され救助のための移動にはたくさんのボートが出ていました。16日にようやく被災地域に入ることができたおもやいメンバーも、浸水高さは2年前よりも高く、甚大な被害を見せつけられ、これまで支援してきた地域の方々にどうお声かけをすればいいのかわからないような状況でした。おもやいの事務所も被災しておりましたが、それでも、これからもこの武雄市で暮らし続ける仲間として、助け合ってもう一度再建していこうと、おもやいができる支援の再スタートを始めました。
コロナ禍でもあり、被災者さんの暮らしの再建へ向けた、復旧のお手伝いや気持ちのサポートなど、私たちにできることは本当に小さなことですが、それでも、一歩一歩共に地域で支え合う仲間として、活動をつづけていきたいと思っています。皆さんもその仲間となっていただければ幸いです。
ボランティへの参加、支援金のご協力、情報のシェア、できることをでくっしこ。どうぞよろしくお願い致します。 (令和3年8月19日)