地震、断水

気づけば今年も3分の 1が終わろうとしています。

1月から能登と佐賀を行ったり来たりしていて、すっかり更新を怠っていました。

能登では七尾市中島町小牧(おまき)地区に入っています。

令和元年豪雨からおもやいをサポートしてくださっている神戸市の被災地NGO恊働センターが2007年能登半島地震からお祭りを通して繋がりを続けてきた場所です。

おもやい第一便も1月12日に出発して13日に到着したのですが、地元の方が

集会所を拠点として貸してくださいました。その集会所も壁が落ちたり

窓が割れたり網戸が外れたりと被害を受けていたので物資を降ろしてから

すぐに片付け班と小さな避難所への物資配達班に分かれました。

雪の降る中、全員で荷物を移動

恊働センターのお二人もそれまで2人だけで思うように物事が進まなかったのが

おもやいが5人で来てくれて、やりたいと思っていたことが3つもできて、

本当にありがたいと涙ぐみながら喜んでくれました。今までの災害では気丈な姿ばかり

見ていたので、どれだけ追い詰められていたかが伝わってくるようでした。

今回の投稿ではとにかく一番困った「水」について書こうと思っています。

拠点として借りた集会所は下水が大丈夫そうだったので水さえあれば水洗トイレが使用可能でした。

まず行ったのが水汲みです。毎日1〜2回佐賀から持ってきたポリタンクを全部満タンにして

運びます。幸い集会所の近くに2箇所湧水(山水?)が出る場所があったのですが

満タンにして運ぶととてもとても重かったです。力がある方だと自負していたのですが

長距離運転の影響もあり腰が痛くて大変でした。

災害はやっぱり体力勝負

力のある男性方が大活躍でした

この満タンの水も、トイレの小を流すためには1個で3〜4回分しかなかったと思います。

必然的に水分摂取を控えていたように感じますが、冬も暖房などで脱水症状になりやすいので

健康には良くないですよね。

上の写真の水汲み場で洗濯をしている高齢女性。気温は0℃。素手です。
バケツにトイレ用の水を分けてタンクに流します

武雄の水害の時は水はすぐに出たのでなかなか気づけませんでしたが、

普段の生活の中でどれくらいの量の水を使っているのか、

それがどれだけありがたいことなのかを改めて感じる機会になりました。

手を洗うのも顔を洗うのも少しだけ手に乗せた僅かな水で…

能登から帰って初めてお風呂に入った時世界がキラキラと輝いて見えました。

ほんの何日かでもそんな状態です。

そして珠洲ではいまだに断水が続き地震直後と同じような生活がずっと続いています。

七尾市の和倉温泉の方でも家の目の前までは水が通ったけど家の中に引き込む

配管がやられていて水が出ないとか、小牧の中でも水は出るようになった

けどずっと水圧が弱くて家でお風呂に入れないとか…

見えない不便はまだまだ続きそうです。

毎朝晩皿洗いの手伝いに行っていた近くの避難所でも給水車からの水を大切に使いながら

佐賀だって震度7が予測されている断層帯もあります。他人事ではありません。

災害が来る前に、まさに今、地域のどこに湧水や井戸水があるのか地区や家族で

話し合って地図に落とし込んだり、水の備蓄をしたり、やれることはいっぱいあります。

能登の教訓を武雄でも伝えていかなければ。

まずは4月21日(日)に私たちの拠点【地域共生センターそよぎ】で今年初めての

防災イベントを開催します。能登のお話や現地で被災された会社からお預かりしてきた

応援商品の販売も行います。ぜひ、遊びに来てください!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。