災害は待ってくれない
前の投稿からかなり時間が空いてしまいました。
おもやいは現在も職員を1〜2名能登に派遣し、武雄での活動と並行してお手伝いを続けています。
今年は1月1日に大地震が起きました。そして、1年も経たないうちに水害が起きました。
おもやいも令和元年豪雨から2年経たない令和3年8月14日、お盆に大水害が起きました。
正直、令和3年豪雨の時は30年ぶりの水害だったから何年かは大丈夫だろうと思っていました。でも、災害は盆正月だから、誕生日だから、この前被災したばかりだから…そんな人間の想いは汲み取ってくれません。
いつ、どこで、何が起こるかわからない、それが災害だということを改めて感じる1年です。
実は能登の水害が発生した9月21日、石川県七尾市の拠点にいました。
何日か前から台風の進路が急激に曲がって能登の方に来ていることを知り、少し心配しながら21日を迎えました。
実はお手伝いしている七尾市中島町では毎年9月20日にお熊甲祭り、通称二十日祭りという大きなお祭りがあります。各地区から枠旗や御神輿が出る、中島町民が誇るお祭りです。
21日朝5時過ぎには準備を始め、お祭りが開催される場合は6時に花火が上がります。しかし、6時になっても花火は上がらず「雷・竜巻注意報のためお熊甲祭りは中止」という判断が下されました。地震が起きてすぐの1月から「何がなんでもお熊甲祭りをやる」という目標を
心の支えに、日々復旧に取り組んでこられた地元の皆さんの悔しさはいかばかりか。それでも昨今の気象状況を鑑み、中止の判断を下した壮年団の団長さんのおかげで全員の安全が守られました。裏で来年の団長さんと抱き合い、涙していた姿は目に焼き付いて離れません。
そうこうしているうちに小牧も雨が強くなりました。嫌な予感がして雨雲レーダーや奥能登のライブカメラを見ていると「これはただごとではない」と思い、すぐに準備を始めたほうがいいのでは?と他のボランティアスタッフに伝えましたが「大丈夫でしょう」という答え。
それでも、毎年水害の対応をしてきて手遅れになった場所、自分の嫌な予感を信じてものを高いところにあげておいたおかげで助かった令和3年のことを思い出し、一人で車のガソリンをチェックし、飲み物や食べ物の買い出しに走りました。
夕方になると、輪島では災害による被害が発生したこともニュースやXなどのSNSで目にするようになりました。小牧も翌日の午前中に大雨予報が出ていたので川の横に住んでいる方のところに訪問し
「土嚢を置いておきましょうか?」と申し出ましたが、まだその時は降っていなかったため「大丈夫だろう」と言われました。
「雨が降って増水するのは一瞬ですからね」と言いつつも、家主さんが大丈夫と言われるのであれば勝手に何もできないので、そのまま拠点に戻りました。
翌22日には小牧でも朝方大雨が降り、拠点前が冠水。しかし、短時間で止んだため床下浸水は何軒かありましたが、地域の方と一緒に片付けることでなんとかその日に復旧が終わりました。
結局、小牧地区はなんとか最小限の被害ですんだのですが、前日に訪問したお宅はやはり川が増水して床下浸水、玄関にも水が入ってきていました。「あなたの言った通りだった」と家主さんからも声をかけられました。
念のために買った食べ物、飲み物もすぐに奥能登へ持って行くことになりました。ガソリンも満タンにしてあったため、ガソリンを入れに行く手間が省けすぐに動くことができました。
「大丈夫でしょう」「やりすぎじゃない?」そう思われるかもしれないけど、今回の経験を通し、やっぱり空振りでもいいから備え続けよう、準備を怠らないようにしようと決意を新たにしました。準備が無駄になれば、それが一番良いことです。どうか皆さんも自分の「今回は大丈夫だろう」「自分は大丈夫だろう」という
正常性バイアスを疑ってみてください。
その行動が何かを変える、命を助けることに繋がるかもしれません。